浅間学とは?

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浅間山春雪
 
 浅間学
 

 一昨年の9月1日に浅間山は噴火しました。
 噴火をきっかけに、嬬恋郷土資料館の松島栄治館長と知り合い、その後、何度か資料館に先生をお訪ねしてお話をうかがう機会に恵まれました。
 私は松島先生の人柄や人生観に深く共感するところがあり、その時、浅間山と山麓の地域社会を考える事は、或る種の人生観というか、文化を共有することに通ずると直感しました。
 以後、この「直感」は私の脳裡を占領しつづけ、今では、嬬恋・北軽(長野原)にまたがる浅間山麓一帯には、文化としての「浅間学」が是非とも必要ではないかと考えるに至った次第です。

 例えば、論を進めるために、2005年7月17日付上毛新聞の“視点”というコラムで、元書店役員の岡田芳保氏が書いている文章を一部引用紹介します。

〜戦後六十年、僕らは、より多く所有することが幸福の原理だった。
「所有」に代わる新しい豊かさの原理は、どこにあるのだろうか? 人と心の疎外感は募るばかりだ。自然と神々との距離を僕たちは再認識し、記憶をよみがえらせなければならない。開発や発展に夢中になり、ずいぶん多くの心を支え合うものを捨ててきた。これは、単なる心の郷愁ではない。「私」が見えなくなって、伝わらないもの、得られないものを。人間らしい心の世界軸を。僕の内部に眠っている魂を。〜

 岡田氏は文中で「所有」に代わる新しい豊かさの原理は、どこにあるのだろうか?〜自然と神々との距離をよみがえらせなければならない…と問いかけています。
 岡田氏は現代社会の見せかけの豊かさとしての「所有」を鋭く見抜き、物質的豊かさに代わる、人間本来の自然を大切にした精神的な心の豊かさの必要性を問いかけているのです。
 こうした問いかけは、モノの豊かさを追い求める現代人(とりわけ都市生活者)が深刻なストレスを蓄積し、精神的疲労を肥大化している現実を見るにつけ、極めて正しい観点ではないだろうかと思います。

 そこで、私が思うに、浅間山麓は現代社会の「所有」のはかなさや物質的豊かさの持つ錯覚に気づかせてくれる絶好のロケーションにあると言えるでしょう。
 宇宙空間の幾千万の星々が生成と消滅を繰り返している事実からすれば、地球はいずれ滅亡するのですが、それを人生に引き寄せて考えるには余りに時間的スケールが大きすぎます。
 しかし、浅間山は生きた火山として、その姿にいつでも触れることができ、尚かつ数百年に一度は大噴火によって山麓一帯を焼き尽くし、埋め尽くしてしまう。天明三年規模の大噴火はいつ起こるのか予知は出来ませんが、必ず起こるのは間違いないのです。
 しかしこの山があるからこそ、人間は荒々しい自然の力を実感し、又、その美しさに癒される。浅間山麓に生きる一人の人間として、浅間山のロケーションから派生する文化を「浅間学」として発信してみたいと思います。
 現代社会はリゾートの原点として「浅間学」を求めているのではないでしょうか?




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